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観音寺廃寺跡

秋田県横手市(旧・大森町)の観音寺廃寺跡(平安?鎌倉時代、12?13世紀)に隣接して遺跡を見下ろす小高い山頂に観音寺経塚がある。ここでは、直径0.7mほどの不整円形の掘り込みをもつ土坑形汲取式トイレ1基を確認している。覆土の上層に籌木が少なく、最下層から大量にまとまって出土したことから、施肥の障害となる籌木を押し避けながら汲み取ったことがわかる。秋田城跡のトイレ遺構と植物遺体の組成そのものは大差ないが、秋田城跡ではウリ科・クワ属を多産するのに対し、ここではキイチゴ属・ブドウ属を多産し、ナス属種子も増えている。寺院があったという伝承をもつ遺跡らしく、獣や魚に特有の寄生虫卵は検出されておらず、菜食中心の食生活が想定される。トイレ遺構の南南東50mからは「御佛殿前申」と墨書された木簡も見つかっている。なお、トイレであるかどうかは決め手を欠くものの、籌木を多く出土する土坑2基も検出している。
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京都府木津川市の光明山寺(こうみょうせんじ)は南北2km、東西5kmにおよぶ広さをもつ大山岳寺院である。10世紀後半、真言宗広沢流の僧寛朝僧正により開かれ、11世紀後半には、東大寺三論宗の僧厳王周によって再興されたとされる。ここが教学の道場として最も栄えたのは12世紀代といわれ、この頃に入山した静誉上人は堂舎・僧坊120を数えたと伝えている。

平安から鎌倉時代(11世紀末?13世紀中)の遺構から発見されたトイレは2時期あり、ともに石組である。旧トイレは破損して構造はよくわからないが、新トイレは、径20?50cm大の石を2列組み合わせ、中央に幅約20cm、深さ約80cmの隙間を設けて溝とする構造で長さは5.7mにおよぶ。そのうちトイレ本体は2.4m、南側1.4mは築地塀の下に入る暗渠となっている。

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2009年09月03日 09:44に投稿されたエントリーのページです。

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